2017年07月11日掲載
7月18日から30日までトルコで、ろう者(注1)だけのオリンピック「サムスンデフリンピック2017」が開催されます。自転車競技の日本代表として出場される早瀬憲太郎さん、久美さんご夫妻にインタビューしました!聴覚障がいのある編集部員が、お二人の自転車競技への想いなどを伺いました。
(注1)聴覚に障がいがあり、手話をコミュニケーション手段として用いる人。
早瀬さんご夫妻はこんな人
憲太郎さん
- 映画『ゆずり葉』『生命(いのち)のことづけ』監督
- 自ら経営する学習塾「早瀬道場」で約20年間ろうの小学生から社会人まで幅広い年代の方に国語と日本語を教えている。
学習塾「早瀬道場」についてはこちら(新しいウィンドウが開きます) - ろう学校の教育相談指導員
- 2007年から2014年 NHK Eテレ「みんなの手話」講師
- 2013年 ソフィアデフリンピック ロードレース出場
- 2016年 NHK Eテレ「みんなで応援!リオパラリンピック」手話キャスター
久美さん
- 日本初、ろう者の薬剤師 現在、昭和大学病院で勤務中
昭和大学病院「聴覚障害者外来」についてはこちら(新しいウィンドウが開きます) - スポーツファーマシスト
最新のアンチ・ドーピング規則に関する知識を持っている薬剤師のことです。 - 2013年 ソフィアデフリンピック マウンテンバイク3位入賞
聞き手:もうすぐ、トルコで「サムスンデフリンピック」が開催されます。早瀬さんご夫婦は自転車競技の選手として出場されるとのこと、素晴らしいですね。お二人が自転車競技を始めたきっかけについて教えてください。
憲太郎:20歳のときアルバイトを探していましたが、聞こえないという理由で断られ続け、なかなか見つかりませんでした。諦めかけていたとき、地元のろう協会の会長が、友人を通してアルバイト先を見つけてくれたのです。
それが「自転車店」でした。働いて1年くらい、パンクなどの修理をしていましたが、だんだん自転車の面白さに惹かれ始め、自転車を購入しました。
ただ、その時は趣味として楽しむ程度でした。
本格的に始めたのは8年前、台湾で「台北デフリンピック」が開催されたころです。塾の教え子が何人かデフリンピックに出場するということで、応援に行くと、友人や先輩も活躍していたのです。その姿を見て、自分もデフリンピックに出場して頑張りたいと思うようになりました。
久美:私は、夫が競技としてマウンテンバイクの大会に出場していたので、飲み物を渡したり、汗を拭いたりとサポートをしていました。サポートをしているうちに、私もマウンテンバイクに徐々に興味がわいてきたこと、そして私がマウンテンバイクを始めたら夫婦で一緒に楽しめると思ったことがきっかけです。
ただ、世界の自転車競技は女子の人口が少なく、マウンテンバイクの大会はデフリンピックぐらいしかありません。
そのため、毎年様々な大会が開催されるロードバイクもやってみようと思い、3年前から始めました。
聞き手:二人とも、興味から始まって本格的に取り組むようになったのですね。現在、仕事をしながら競技に取り組まれていると思いますが、練習はどのようにされているのですか?
憲太郎:そうですね。まずは仕事!生活が第一なので、朝や夜など時間を見つけて練習をしています。さらに、週末は、デフリンピックに向けて日本各地で行われる一般の大会にチームメイトと出場し、経験を積んでいます。
聞き手:一般の大会に出場しているとのことですが、困ることはありますか?
憲太郎:初めて一般の大会に出場したのが7年前で、それまでろう者が出場することはほとんどなかったので、主催者側も私もどのようにしていいのかわからない状態でした。
一番困ったことは、スタート時の合図が聞こえないことです。「何分前」「何秒前」が聞こえないため、みんながスタートした後に慌ててスタートするしかありませんでした。
聞き手:確かにそうですよね。スタートの合図は、ろう者である私たちにとってはわかりません。そこから改善方法などは提案されたのですか?
憲太郎:スタートの合図をわかるようにしてほしいと要望を出したところ、主催者側が、1分前、30秒前、10秒前とわかるようなボードを作ってくれました。
以前は、ボードを出してもらえるようその都度お願いしていましたが、今では私たちが参加しない場合にも掲示しているそうです。
久美:ボードですが、最初は手書き、プリント、プラスチックとどんどん良くなっていきましたね。これはろう者のためだけではなく、意外に健聴者(注2)にも役立っているようです。
その理由は、会場アナウンスの声が風の音で聞こえにくくなったり、途中から慌てて来た選手が何分前かわからなかったりと、結果的に、みんなが目で見てわかる情報として使われています。
(注2)聴覚障がいのある人に対して、聴覚機能に障がいのない人をいう。