読者のみなさんは、「手話狂言」をご存じでしょうか。障がいの有無に関わらず楽しむことができる狂言のことで、35年前から親しまれています。
そこで今回、1月27日・28日に行なわれる「第37回手話狂言・初春の会」に出演する日本ろう者劇団代表の江副さんにお話を伺いました。
江副悟史さんはこんな人
- 日本ろう者劇団 代表
- 映画「獄(ひとや)に咲く花」に出演
- NHKこども手話ウィークリーのキャスター(2010年3月まで)
生まれながら聴覚に障がいがあり現在は俳優、手話弁士(注1)などで活動中。
(注1)演説や説明を手話でする人
日本ろう者劇団 手話狂言についてはこちら(新しいウィンドウが開きます)
手話狂言とは
今日からさかのぼること680年前の室町時代から親しまれている日本古典芸能の狂言に、明治時代に成立した手話を取り入れた狂言です。
聞こえる人も聞こえない人も一緒に楽しめる狂言の上演作品は、1987年には文化庁芸術祭賞や第8回松尾演劇賞演劇特別賞を受賞しています。
手話狂言について、日本ろう者劇団代表 江副さんにうかがいました!
聞き手: 本日はよろしくお願いいたします!!現在、江副さんは日本ろう者劇団の役者さんですが、役者の道を選んだ理由を教えていただけますか?
江副さん:
大学時代は教員を目指していました。その時、自分の中で全国のろう教員は30人ぐらいだと思っていたんですが、全国ろう教職員シンポジウムに参加した時、300人ぐらいいたんです。自分が思っている以上に多く、教員になる夢を諦めました。
そして、大学は3年の時に中退して、世界のろう者(注2)と交流のため世界を回ることにしたんです。
デフファミリー(注3)で周りもろう者だけの環境で育ってきた私には、ろう者が実社会で何に苦しんでいるのかまだ知りませんでした。情報格差とかいろいろありますよね。当時は特段困ることがなく、自分が得ている情報が全てだと思っていました。しかし、世界のろう者と交流してわかったことは、ろう者には「こんな差別」や「あんな差別がある!」といろいろ教えてもらいました。思い返してみると確かに自分が気づいてなかっただけでいろいろありました。
日本に戻ってきて改めて考えると、ろう者がより聴者(注4)の世界で生きていきやすいようにする活動をしたいと思い、さまざまな講演会に参加したんです。その中で日本ろう者劇団の存在を知り、その劇団に入団しました。そこから芝居の道に進むようになって、今に至ります。
(注2)先天的に聴覚障がいがあり、手話をコミュニケーション手段として用いる人
(注3)家族全員が聴覚障がい者であること
(注4)聴覚障がいのある人に対して、聴覚機能に障がいのない人
聞き手: 現在はご自身がその代表になり、改めて気づいたことや力を入れていきたいことなどありますか?
江副さん:
「日本ろう者劇団」は、37年の歴史があり日本を代表する劇団なのに、1年間の公演回数が少ないうえ、ろう者を主体にした演劇グループや団体が増えてきていることなどに気づきましたね。
もっと日本ろう者劇団を世間にアピールしたいのですが、なかなか難しいのが現状です。
ただ、私が代表になってからは手話狂言の公演を増やし、「日本ろう者劇団は日本古典芸能をやっています!」とアピールすることに力を入れています。
聞き手: 手話狂言はどのようなところに魅力がありますか?
江副さん:
狂言は台詞が難しく、何を言っているのかわからないですよね。
手話狂言で使う手話は、現代の手話だけではなく、できるだけ明治、大正、昭和時代の手話を使うようにしています。
また、ろう者は表現力がすごいと思います。聴者の方も台詞がわからなくても演じている人の表情を見れば「今怒っている」「今悲しんでいる」「今うれしい」など見て台詞と演技が一致します。そこが手話狂言の魅力だと思っています。
聴者の狂言より手話狂言のほうが分かりやすいという聴者のお客様から感想を頂けたのもまた嬉しいです。
聞き手: 世界でも公演していると聞いたのですが、その時は手話や台詞の言語はどのようにしているのですか?
江副さん:
手話は国によって違います。今まで世界各地で公演をしていますがその内容は、日本語、日本手話で字幕だけ現地の言語でした。
台詞は日本語ですが、2年前に初めて国際手話(注5)で公演をしました。古典芸能の狂言は昔からの文化があるのと同様に日本手話も昔からの文化があるので、なにかと共通しているところがあります。
しかし、国際手話の場合は日本の文化が入っていません。そもそも文化というものが存在しないんです。なので、個人的には日本古典芸能の重みを感じることがなかなかできませんでしたが、周りからは好評を博していました。
(注5)国際補助語のひとつで、ろう者が国際交流を行う際に公式に用いるために作られた手話
聞き手: 日本古典芸能の中には、狂言の他に能や歌舞伎などがありますが、狂言が選ばれた理由はなんですか?
江副さん:
これはたまたまなんです。
1980年に日本ろう者劇団が設立され、1983年にイタリアで世界ろう者会議が開催されたときのことです。各国の方々が短時間で面白い日本の劇を観たいと依頼がありました。
どうするか考えていたところ、女優の黒柳徹子さんが「狂言はどう?」と提案してくださったのが始まりです。狂言は短くて10分、長くて30から40分、短いけど面白く日本の文化がはっきり出ている日本の古典芸能です。
そこで、黒柳さんの知人である狂言師の三宅右近先生を紹介してくださり、狂言を始めました。
聞き手: 最後に、今後の目標をお願いします。
江副さん:
1つ目の目標は、2020年東京オリパラがありますよね。そこに3つの柱があると聞きました。1つ目がスポーツ、2つ目が教育、3つ目が文化です。1つでも欠けてしまうと成り立ちません。「文化」の分野で、日本ろう者劇団の持っているものを発揮したいです。
「手話狂言」をオリンピックやパラリンピックの開会式や閉会式で披露したいと思っています。
2つ目の目標は、全国のろう学校で公演することです。
今使われている国語の教科書に狂言の内容が載っています。そのため、興味を持ってもらうだけのためではなく、子供たちが「これ勉強した」「こういう意味だったのか」と理解をしてもらえるような活動をしたいです。
3つ目は毎年公演している初春の会の会場は国立能楽堂です。そう簡単に舞台に立つことができないので、日本劇団は本当に恵まれていると思います。
劇団はたくさんありますが狂言をやっているのは日本ろう者劇団だけです。
それを強みとして、もっとアピールしていきたいです。
聞き手: 今後、手話狂言がより世間に広がることに期待しています。今回はどうもありがとうございました。
手話狂言を演じている日本ろう者劇団代表の江副悟史さんにお話を伺いましたが、いかがだったでしょうか。
普段聞くことのできないような内容まで、たくさん語ってくださいました。
インタビューでは、一年に一度の大舞台にかける想いや手話狂言を東京オリパラはもちろん、世界に広めたいという熱い想いが伝わってきました。
自身の公演だけではなく、日本ろう者劇団は聴覚障がい者向けの年間ワークショップといった手話狂言のワークショップも開催しています。
手話狂言の上演に足を運んでいただいたり、その活動を少しでも多くの方に知っていただければと思います。