視覚障害者柔道のパラリンピアン!初瀬勇輔さん

2023年10月24日掲載

視覚障害者柔道のパラリンピアンである初瀬勇輔さんは、現在、障がい者の就職・転職などをサポートする株式会社ユニバーサルスタイルの代表取締役であり、株式会社スタイル・エッジの人事広報部アドバイザーとしても活躍しています。
今回、視覚に障がいを負ってからの就職活動、就職後のパラアスリート活動、起業から障がい者雇用の課題や未来についてお話を伺ってきました。
ぜひ、ご覧ください。

写真:スーツ姿の初瀬さんバストアップ

障がいを発症した時期と症状は?

写真:初瀬さんから見た編集部員のイメージ。両手を広げている編集部員の手がなんとなく見えている右目に緑内障を発症し、その後、左目にも同じく緑内障を発症して視力のほとんどを失いました。
見え方を説明すると、中心に白く大きな丸いモヤがある感じです。
大学2年生でしたが、1人では何もできず、常に人に付き添ってもらうような日々が数か月つづきました。
1人で日常生活ができるようになってきたのは大学の4年頃です。もちろん、家族や友人、大学のサポートを受けながらのことです。

視覚障害者柔道と就職活動の両立は?

視覚障害者柔道を始めたのは、大学4年の夏頃です。
高校時代に長崎県の県大会で3位になったことがあります。
ブランクと見えなくなった状態で戦う怖さはありましたが、柔道を再開することにしました。その後、視覚障害者柔道連盟の人に大会へ出場してみないかと誘われ、初めて出た大会で優勝したんです。
それからも、多くの大会へ出場して上位の成績を残せるまでになりました。
一方、就職活動はというと、100社以上にエントリーシートを出しても面接ができたのは2社だけでした。エントリーシートすら突破できないって、やっぱり視覚障がいがすごくネックになっていると感じました。

写真:パラリンピックで対戦相手と組んでいる初瀬さん

就職できたのは大学を卒業した1年後の2007年のことです。某人材派遣会社の特例子会社へ入社しました。入社前に柔道の国際大会が2つ決まっていたので、入社時期を翌年にずらしていただいたんです。入社早々に2、3週間休みを申請するのが難しいだろうという理由でした。
当時、まだまだパラスポーツに対して企業側の関心が薄く理解が得られなかった時代でしたから。

起業したきっかけは?

写真:ジェスチャーを加えてインタビューに応える初瀬さん入社後、知的障がいのある人が働いている部署へ配属されました。業務内容は、グループ会社各社の不必要となった文書破棄や郵送物の社内便配達、マッサージルームの管理業務などです。
4年半在籍し、部署のマネージャーにもなれたし、それなりに充実していました。
その間はパラリンピックに出場したり、アジアパラリンピックで金メダルを取ったり、また仕事も楽しく過ごしていました。
ただ、2011年に東日本大震災があり、自分が障がい者になった当時のことと重ねて「保障されている明日がない」ということを思い出したんです。ちょうど私が30歳になる節目の年でした。もっと「チャレンジしてみたい!」という気持ちが沸き上がってきました。
その後、周囲の友人、知人を含めて独立する人が多かったこともあり、障がい者雇用のコンサルティング会社「ユニバーサルスタイル」を31歳の時に起業しました。

パラリンピアンのセカンドキャリアと障がい者雇用の未来は?

2015年、私の視覚障害者柔道のスポンサーになってくれたのが「スタイル・エッジ」です。その縁もあり、2017年には「スタイル・エッジ」にジョインし、今は、人事広報部のアドバイザーとして、D&Iの推進やパラアスリートの障がい者雇用促進も担当しています。
急成長している企業がこれらの課題に対して、スピード感をもって取り組むことはサステナブルな社会をつくるためにも大事なことだと考えています。
企業にパラアスリート雇用が広がり始めたのは、ここ10年ほど。パラアスリートの選手寿命は長いので、定年退職を迎えたという人は、まだいないと思います。
例えば、新卒でパラアスリート雇用された場合、定年退職を迎えるまでパラアスリート雇用という人も出てくるかもしれません。
ただし、パラアスリート雇用を終了したり、健常者が何かしらの理由で障がい者になった場合、仕事を継続できるほうが嬉しいですよね。一昔前は会社を辞めざるをえなかったり、会社に居場所がなくなる感じだったと思います。

写真:オフィスでインタビューに応えている初瀬さんと編集部員

しかし、今は変わってきていると思います。
例えば、特例子会社や、バックオフィスの業務に異動するなど新たに活躍できる場を探すようになる。そうすることで、働く人たちの安心にも繋がるでしょう。
さまざまな企業の取り組みの歴史を見ればわかるように、障がい者雇用率が上がれば、企業側の数字は後からどんどんついていくものです。なので、これからも障がい者雇用は間違いなく進みます。あとは、企業側が働いてる障がい者をきちんと評価できる仕組みを作っていくことが大事だと思います。
また、障がい者雇用率と同じ位の数を役員で雇うというのも面白いかもしれませんね。

プロフィール

初瀬勇輔(1980年、長崎県生まれ)
写真:笑顔の初瀬さん・2008年北京パラリンピック視覚障害者柔道90キロ級に出場
・株式会社ユニバーサルスタイル 代表取締役
・株式会社スタイル・エッジ 人事広報部アドバイザー
・JPC(日本パラリンピック委員会)運営委員
・NPO法人日本視覚障害者柔道連盟 理事

イラスト:編集後記

初瀬さんが起業した理由は、ご自身の就職活動での経験が大きな要因でした。起業後は、パラアスリートがプロとして活動することが徐々にではありますが珍しくなくなり、パラアスリート雇用をする企業も増えてきました。
しかし、健常者とは契約条件や給与体系が異なること、現役寿命も異なります。
企業側がパラアスリートをサポートする基準があるわけではないため、現役を引退したとき、企業側がどう対応するかは今後の大きな課題になると思いました。

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