2016年09月07日掲載
8月6日から22日まで、リオ・オリンピックが開催されました。
スポーツを通して、多くの感動と勇気をもらったという方も多いのではないでしょうか。
そして、9月7日からリオ・パラリンピックが開催!
障がい者スポーツの熱戦が繰り広げられます。
今回は、リオパラリンピックから女子も正式種目となり、注目を集める「視覚障がい者マラソン」についてご紹介します!
さらに、男子視覚障がい者マラソンの日本代表選手として出場する堀越さん(NTT西日本所属)に、リオパラリンピックに向けての思いを伺いました。
障がい者の陸上競技について
パラリンピックの陸上競技は、肢体不自由、視覚障がい、知的障がいのある選手が対象です。
障がいの種類・程度によってクラス分けされます。
基本的には一般の陸上競技のルールと同じですが、障がいに応じて一部変更される場合があります。
トラック種目、フィールド種目、マラソンなど、障がいの程度に合わせてクラス分けされ、競技が行われます。
たとえば、車いすの選手が陸上競技を行う場合「レーサー」という、競技用の車いすを使用します。
また、義足や義手の場合、スポーツ用の義足や義手を着用します。
視覚障がい者陸上の場合
一人で走ることが難しい人は「ガイドランナー」と呼ばれる伴走者と一緒に、直径1メートル以下のロープを持って走ります。
視覚障がい者のクラス分け
以下の3つに分かれます。
T11 | 視力は、光覚までで、どの距離や方向でも認知はできないもの |
T12 | 手の形を認知できるものから、視力0.03までまたは視野が5度以下のもの |
T13 | 視力は、0.03以上0.1までのものと視野が5度以上で20度以下のもの |
*参照:IPC(注)競技規則及び日本身体障害者陸上競技規則から一部抜粋
(注)IPCとは国際パラリンピック委員会のこと
周囲の支えがあって、自分のやりたいことができる!
聞き手:まず、リオ・パラリンピック日本代表の内定おめでとうございます。
選ばれるまでには苦労もあったと思います。
堀越さんがマラソンを始めたきっかけは何だったのでしょう?
堀越:実家が長野で、小学校までは普通校でした。
そのころ、親のすすめで水泳をしていたんです。
泳ぐのは嫌いじゃなかったのですが、やらされている感がイヤでしたね。
中学から東京の筑波大学附属視覚特別支援学校に進み、親元を離れて、水泳はやめました。
ただ、体を動かすことは好きだったので、何か続けたいと思っていて、
そうすると、球技は得意じゃないから消去法で走ることになりました(笑)。
中学生のとき、初めて1,500メートル走ってそこそこ走れたんです。
小学生のときもマラソン大会で走ると7位くらいになって、走ることに向いていたんだと思います。
それが走るきっかけでしょうか。
なので、中高はずっと1,500や5,000メートルをやっていました。
初めて北京パラリンピックで1,500・5,000メートル、ロンドンパラリンピックで5,000メートルに出場しました。
聞き手:小さいころから走ることが得意だったんですね。
これまで北京・ロンドンのパラリンピックでは、5,000メートルと1,500メートルに出場していますが、今回はフルマラソンに挑戦しようと思った理由はなんですか?
堀越:4年に1度しかないパラリンンピックという大会で、メダルを狙える確率が高い種目だったからです。
ロンドン・パラリンピックのとき、5,000メートルを14分48秒で走りましたけど、それ以降14分台を出せていないどころか、たとえ14分で走ってもまだ上に選手がいるので、メダルにはひっかかってこないというのが現実です。
また、初マラソンだった2014年の「防府読売マラソン」では、走りは失敗はしましたが、翌年の2015ロンドンマラソン大会への招待をいただきました。昨年のその大会は、IPC陸上マラソン世界選手権を兼ねた大会で、3位で銅メダルを取り、今回のリオパラリンピックの推薦をいただきました。
正直、当初はフルマラソンは・・・と思っていましたが、推薦をいただいたのを機にマラソンでいくしかないと思いました。
メダルを取る確率が高い方にかけたのと長距離からマラソンへのタイミングがあったということですね。
聞き手:なるほど。
現在、NTT西日本陸上部に所属しながら、仕事をこなすという忙しい毎日だと思います。まずは、多くの企業の中からNTT西日本に入社したきっかけを教えてください。
堀越:私が大学のとき、北京パラリンピックに出場したのをNTT西日本の人事の方がたまたま見ていたそうなんです。
その人事の方は、障がい者採用だけでなく、将来パラリンピックに出場の可能性がある選手を採用したいという考えがあり、どういう形になるかわからないけど、NTT西日本という名前を背負って走ってみないかと言われ、私も大学卒業後の就職先を探していたので、両者のタイミングがうまく合致したという感じですかね。