リオパラリンピックで、視覚障がい者の伴走者(注)として出場した株式会社NTTデータの中田崇志さん。
1,500メートル、5,000メートル、マラソンと3種目においてすべて入賞という素晴らしい成績を残しました。
また、スポーツ庁から「文部科学大臣表彰」を受賞するなど、伴走者という立場、そして指導においても、障がい者スポーツの発展に多大なる貢献をされています。今回、視覚障がい者を支える「伴走」を中心にお話を伺いました。
(注)視覚障がい者に方向や周囲の状況を伝えながら一緒に走るランナーのこと
中田崇志さんはこんな人!
所属:株式会社NTTデータ 広報部
主な大会戦歴(伴走レース)
パラリンピック
- アテネパラリンピック 高橋勇市選手の伴走 マラソン 優勝(金メダル)
- ロンドンパラリンピック 和田伸也選手の伴走 5,000M 3位(銅メダル)
世界選手権
- 2006年 世界選手権 高橋勇市選手の伴走 マラソン 優勝(金メダル)
- 2011年 世界選手権 和田伸也選手の伴走 マラソン 3位(銅メダル)
- 2013年 世界選手権 和田伸也選手の伴走 マラソン 2位(銀メダル)
伴走との出会いは雑誌の投稿から
聞き手:視覚障がい者の「目」となる伴走者としてのご活躍、本当に素晴らしいですよね。
リオパラリンピックでは、1,500メートル、5,000メートル、フルマラソンと3種目に出場され、すべて入賞おめでとうございます。
中田さんが、伴走を始めたのはどのようなきっかけがあったのでしょうか?
中田:2003年、ランナーズというランニング関係の月刊誌で、「パラリンピックを目指しています。一緒に走ってくれる伴走者を探しています。」という主旨の投稿を読み、投稿者の高橋勇市選手に連絡をとったのがきっかけです。
それまで視覚障がいの方と触れ合うことは一度もなかったですが、視覚障がい者の方が全力で走りたくても走れないという気持ちを考えると、自分にも何か協力できるのではと思い、やってみようと思いました。ちょうどその頃、シドニーパラリンピックで伴走した倉林さん(世界陸上東京大会のマラソン日本代表)に、伴走をしてみないかと言われていたことも、私を後押ししてくれました。
聞き手:雑誌の投稿がきっかけというのも珍しいですよね。
実際に伴走をされてどうでしたか?
中田:伴走は難しいと思っている方が多いと思います。私もそう思っていましたが、想像していたよりは簡単でした。
今思えばそれは当たり前で、いつも伴走ロープを持っている視覚障がいの方が「誰とでも走れるプロ」だからです。
視覚障がいランナーは日ごろからさまざまな伴走者と走っているので、「伴走が初めて!」というランナーにもすぐに合わせてくれます。今は、私も伴走に慣れていますので、私が選手に合わせて走っています。
聞き手:なるほど。視覚障がい者は「誰とでも走れるプロ」ですか。
中田さんご自身、マラソンはもともとされていたんですか?
中田:高校時代は陸上部に所属し、中長距離の競技をしていました。
大学のとき、全日本インカレにおいて3,000メートル障害の種目で全国7位に入っています。
その後、NTTデータに入社し、NTT東京陸上部の関係者から声をかけていただいて、ニューイヤー駅伝を一度一緒に走らせて頂きました。
マラソンの他には、デュアスロン(トライアスロンの水泳がない競技)という種目で日本代表として競技をしていました。
伴走者は共に戦う「チーム」
聞き手:ご自身も競技者という立場で走られているのですね。
伴走をしてきた中でここが難しいというところはありますか?
中田:伴走は、選手との心が合っていないと難しいところがあります。
選手と伴走者はチームですので、普段からコミュニケーションを取るよう意識しています。
聞き手:では、中田さんが伴走をする際、どのような気持ちで伴走をしていますか?
中田:私自身も選手と同じで、常に勝負をする気持ちで伴走をしています。伴走者というよりは、自分自身も競技者という気持ちで走っています。世界大会やパラリンピックでメダルを獲得するために、自分自身のコンディションも整えて日々トレーニングに励み、レースに臨んでいます。
トレーニングがつらいと感じる日もありますが、伴走者と選手の思いが同じだからこそ、頑張ることができています。だから、私にとって選手がメダルを目指していることは、とても重要なのです。