前回は、大平さんの47都道府県の旅にまつわるエピソードやMV制作のきっかけについて紹介しました。
今回は、MV制作での苦労話や、これからの活動への思いについてお届けします!
「楽しさ」を共有できる社会へ
聞き手: 世界初となるMVの制作は、時間もかかったと思いますし、色々なエピソードがあったと思います。印象に残っていることはどのようなことですか?
大平さん:
MVの制作は苦労も多かったですね。
映画と同様に、音声ガイドがセリフと重なってはいけない、重なっても問題がない。これをどちらにするか判断する時にとても悩みました。また、私には、1秒、2秒のカット割り、画像の入れ替えや出るタイミングなどを目で確認することができません。他には被写体以外に何がどの辺に映り込んでいるかなどもそうですが、そのあたりをボランティアの大学生などに説明してもらう時に、お互いにわからない、伝わらないなどそのあたりも苦労しましたね。
それと、撮影した日が冬でマイナス20度くらいの猛吹雪だったのですが(苦笑)、音源は止まってしまうし、手話をする私の指も、ボーカルが弾くギターの指もカッチンコッチンで、泣きそうになりました。
その他、出演する学生さんが、大がかりな撮影とわかり、撮影日の前日にドタキャンされてしまいました。結局、自分が出ることにしてシナリオを書き直しました。
そのように、様々な方との共同作業が多く、段取りなども含めて「ああ、自分は見えないんだな」という不便さを痛感することもたびたびありました。普段生活していて、見えなくて困ることは、ほとんどといっていいほどなかったので、その時が初めてだったかもしれません。
聞き手: 苦労されて作ったことがわかります。このMVの魅力や注目点って、どんなところでしょうか?
大平さん:
もちろん、手話や字幕、音声ガイドがついているので、誰にでも楽しめるという点です。
なかなか気づきにくいと思いますが、「夢の星たち」という曲は、視覚障がい者目線になっています。
最初、子供たちが走ってくるシーンがありますが、映像が全身ではありません。4人が走ってくる「タッタッタッ」という足音や鈴を付けている音が聞こえるのですが、そこで私が注目するのは足音で、その足元にアングルを合わせています。
また、子供たちが絵を描いているシーンでは、最初は鉛筆が紙の上をすべる音に着目しています。そこから子供たちの笑い声が聞こえてきて、やっと顔が見えてきます。それは、視覚障がい者目線の私ならではのアングルにしてみたんですよ。
聞き手: 最後に、今後の夢やチャレンジしてみたいことについてお聞かせいただけますでしょうか?
大平さん:
私は、もっと多くのMVに手話や字幕、音声ガイドが付くと楽しめる人が増えることを伝えていきたいと思っています。
もちろん、自分が楽しみたいからという思いが最初にありますが、目が見えない、耳が聞こえないという当事者の身近にいる家族や友人、そして恋人など誰もが気がねなく、また障がいの有無や特性を問わず、同じ時間に同じ場所で一緒に楽しむことができる作品を作りたいと思っているからです。
そのために、第2弾のMVを作って広げていきたいです。
音声ガイドの編集方法をさらに工夫して、もっとユニバーサルデザイン化したものを。
例えば、再生中に、音声ガイドの音量を変えられたりできるのもいいですよね。そうすれば、音楽か音声ガイドか、どちらをメインに聴くかを選択できるようになり、より楽しみやすくなります。
それから、旅のことも書いた私の自伝的フォトエッセイを出版する予定で現在、執筆中です。出版する前に、旅でお世話になった47都道府県の方々プレゼントしに回ります。再会です。それができたら、今度は世界一周の旅に出て世界の人と触れ合って、様々な経験を積み重ねていきたいです。
旅は自分自身を成長させてくれるものですから、得るものが大きいと思います。障がいのことを理解してもらえる絶好の機会でもあります。
その後は、自分の店を持ってみんなが集まるような場所を作りたいですね。
私のこのような活動により、障がいについてもっと多くの人に理解してもらうことで、誰もが気がねなく楽しみを共有できるような社会になれば最高だと思います。
聞き手: 本日はありがとうございました。お話をお伺いしていて私もワクワクしました
大平さんのプロフィール
大平 啓朗(おおひら ひろあき)
-
1979年
北海道 下川町生まれ。 - 2003年
山形大学大学院の学生時代、薬品の誤飲で失明 - 2004年
国立函館視力障害センターで生活などの訓練を受ける。 - 2008年
あんま・鍼・灸の国家資格を取得。 - 2010年
1年かけて47都道府県、民泊一人旅を達成。 - 2011年
自らの事務所、特定非営利活動法人「ふらっとほ~む」を開設。
「ふらっとほ~む」についてはこちら(新しいウィンドウが開きます)
大平さんは、たくさんの仲間から「おーちゃん」という愛称で呼ばれています。多くの人に親しまれている理由は、大平さんの明るさや人柄にあると思います。
24歳の若さで失明し、さまざまな困難を経験しましたが、めげてしまうことなく、趣味である旅をしながらの写心撮影を続け、なんと47都道府県を周るという大事を成し遂げました。
同じく中途で失明してしまった私には、そこまで早く立ち直ることはできませんでしたし、現在においても積極的に活動できているとは言えません。大平さんの行動力にはとても刺激を受けました。
私もそうですが、障がい者という状況におかれてしまうと、つらいのは自分だけで、周りが配慮してくれるのは当然のことだと思いがちです。最も大切なことは、障がいの有無に関わらず、お互いに歩み寄り理解しあうことに大平さんは気づかせてくれます。
今後も「おーちゃん」のちょっと変わった?活躍に目が離せませんね!